Sunday, January 15, 2012

thoughtlessness

久々のpost。
実に1年半ぶり。

1年半も経つと、今の自分は前の自分と違って、ちっとカルチャーショック。
「前の自分、こんなんだったんだ…」って感じ。あちゃー。

このblogの方向性は、ふと思ったこと、考えたことをたまにポストする、ということにします。
存在理由、レゾンデートルってやつですか。フランス語で。
昔の記事を見ると、ELPの課題とかポストされてて恥ずかしい。
悪くも悪くも昔の自分です。

恥ずかしい記事ばかりですが、一応、著作権はポストしている自分に帰属する、ということにしておきます。

さて、今日のポストはタイトルの通り、thoughtlessness。
ハンナ・アーレントが『人間の条件』の中で指摘した「現代社会」の特徴です(1950年代)。

ある日、小学生に歴史を教えていて、違和感がありました。
これは割とポピュラーなステレオタイプだと思いますが、「昔の人は現代に比べて遅れている」という考え方。
いわゆる進歩史観というやつです。

現在は過去より進歩している。未来は現在より進歩する。
時間の経過はすなわち人類の進歩を意味する。

確かに、現代人は、旧石器時代に比べてはるかに便利で豊かな生活を享受している。
しかし、現代人は旧石器時代人より進歩しているのか。
単純な話、現代人は旧石器時代人より(現代で比較的高い価値とされている)「頭の良さ」で上回っているのか。

多様な考え方があるでしょうから、この議論自体は保留にしましょう。

ただ、このポストのタイトルから予想される通り、私の結論はハンナ・アーレントの言う通りである、ということです。
それは現代人の中でも圧倒的多数の、いわゆる「一般大衆」が、thoughtlessであるということです。

先人たちの緻密な思考によって、便利で豊かな生活を享受するようになった現代人は、「考え」なくても生きていけるようになった。
特に、先進国の「一般大衆」がです。

途上国の学生は必死に勉強する反面、日本の学生は勉強をしない。ハングリー精神が足りない。と言われる現代。
このような状況こそ、「豊かな一般大衆」のthoughtlessnessを象徴しているように見えます。

ただし、一方で「豊かな一般大衆」の中にも、必死に「考え」て現状を改革しようとしている人間は少なからず居ます。
それを支えているのは、資本主義に裏打ちされた競争社会ではないか、と私は考えます。
競争からの脱落への危機感が、豊かさに勝るからです。

資本主義の次段階であるとする社会主義が、競争を撤廃したばかりに、生産性を失って、物質的な退化という結果をもたらしたことは、進歩史観に対する決定的な反例になるような気がします。